あれから8年、忘れてはならない日本の記憶・災害大国日本を襲った東日本大震災から学ぶこと
こんにちは、あいのんです。
今から8年前の昨日、2011年3月11日は、
東日本大震災がありました。
もう8年も経つんですね…
震災で亡くなられた方は、関連死を含めると今年で2万人を超え、
現在でも5万人以上の方々が避難生活を送っています。
震災当時、あいのんは北海道にいました。
札幌は震度3程度だったので、ほとんど被害は無く、
ただ日常が過ぎた、という感覚でした。
東京にきて3年になりますが、
被害に遭われた方がいたり、
職場でふとしたときに、
あの時はすごかったね、と話題になったりします。
◎人生で一番「世間知らず」を味わった日
震災があった当時は、
地元の札幌で友人と遊んでいました。
その日は、1年にあるかないかの
たまたま携帯を家に忘れてきた日でした。
午後2時46分、
真昼間に地震があったにも関わらず、
そうとは知らずに夕方自宅に帰ると
めちゃめちゃ心配されていたし、
怒られました…。
結論から言うと、札幌は震度3程度で大きな被害もなくいたって平和。
とはいえ実家はマンションで、
そのときは祖母が自宅におり、
なかなかの恐怖体験だったと話していました。
あいのんはと言うと、
携帯がないので情報がないし、
大きな商業施設にいたので揺れすらも感じませんでした。
確かに窓の方に向かって人だかりができていましたが、
友人と二人で、有名人でもいるのかな〜?
なんてのんきに話していました。
恥ずかしながら、
これが2011年3月11日の真っ先に浮かぶ思い出です。
なので、家に帰ってテレビを見たときは本当に衝撃的でした。
こんなに大きな地震があって、
津波の被害があって、
かたや自分はのんきにふらふらしていて、
情けない気持ちになりました。
そもそも、携帯を忘れていなければ、
情報もキャッチできたし、
すぐに家に帰ることもできました。
被害がなかったからいいものの、
大事なときに連絡手段がなかったらパニックです。
あって当たり前の物がなくなると急に不安になりますよね。
情報もなく、連絡手段もなく、
地震発生から3時間ほどたってから大きな被害のあった日本の状況を知る、
という、なんとも世間知らずな3時間でした。
◎自分が被災者になるとよくわかること
東日本大震災があった2011年は、
高校卒業の年。
まだ札幌にいたし、
東北に知り合いがいるわけでもなかったので、
完全に第三者目線でした。
震災から3ヶ月後、
大学の部活動で仙台への遠征がありました。
飛行機で仙台に入るのですが、
仙台空港は太平洋側の海岸からランウェイに侵入しますが、海岸から滑走路までの間には林が茂っていたのでしょうか、
上空から津波でなぎ倒された木々を目にしたとき、
天災の怖さを目の当たりにしました。
半年ほど前の2019年9月6日、
北海道でも珍しく、胆振地方(道南)を震源とする最大震度7の大きな地震がありました。
つい先日もその余震なのか、震度5弱の地震が北海道ではありました。
皆さんの記憶にも新しいのではないでしょうか。
震源から少し離れた札幌でも
震度5以上を観測した地域が多く、
断水や停電が数日間続く地域もありました。
繁華街として有名なススキノも計画停電でネオンが暗くなり、
近年増加傾向の観光客も一気に減って閑散とした街並みだったそうです。
実家では、食器棚の半分くらいの食器やグラスが割れたり、
本棚が倒れたりしたそうです。
ただ、その時なによりもよかったことは、
すぐに電話が通じて、実家にいる母と祖母の安否を確認できたこと。
まだ寝ている深夜に地震があったので、
朝、携帯を3度見くらいして飛び起きました。
即電話をして、すぐに通じ、
心から安心しました。
地震の話を聞いて、こまめに連絡取りながら
気づいたこともたくさんあります。
電気や水道などライフラインの復旧は、
病院などが近くにある地域から解除されていくそうです。
ですので近所に割と大きめの病院がある実家は、その日に復旧しましたが、
友人宅の中には丸2日、丸3日たってから復旧した、
という家庭も少なくはありません。
また、コンビニやスーパーなどは1〜2週間は品切れ状態が続いていて、
牛乳など、北海道内で生産されるものから順次置かれていったそうです。
北海道はでっかいどうとよく言われます。
だだっ広い土地ではあるものの、物流観点から見ると、
やっぱり島国なんだな、と感じました。
通販などで
"送料無料(ただし北海道、沖縄、離島は除く)"
って書かれてしまうくらいですから。
備えあれば憂いなし、と言いますが、
みなさんご自宅に災害グッズは常備していますか?
あいのんは今自宅に災害グッズはありません。。
が、向こう3日間分くらいの水や食料は揃えておこうと思います。
母が一番役に立ったと言ってくれたものがあります。
それは、中学生の時に授業で作成した巻き取り充電式のラジオです。
電気がないからテレビはつかないし、
情報が全く取れません。
最初はラインで、こんなニュースやってるよ、
と連絡していましたが、
電気がない状況では携帯の充電にも限度があります。
そんな中、大活躍したのがラジオです。
しかも手動で発電できる仕組みになっているので、家の中でも外でも使えます。
最後に、あいのん自身の教訓ではありますが、
携帯は携帯してくださいね!!
よく会社でデスクの上に携帯電話を置き去りにしてどこかへ行ってしまう上司がいます。
こういった災害の時だけでなく、
何か特別な連絡があるかもしれません。
また、仕事できる人ほど電話の対応やメールの返信が早いですよね!
ない!と後悔する前に、
携帯は携帯するクセづけすることをお勧めします。
とはいえ地震の発生直後は電話が繋がりにくいこともしばしば。
地震以外にも
台風だったり豪雨だったりと
近年天災が続いています。
日本は海外に比べて平和ではありますが、
災害が多い国の一つです。
今後南海トラフ地震など、30年以内に
大規模な地震が起きることも予想されています。
今一度、
もしも対策を考えてみてはいかがでしょうか。
ご家族で一緒にお住いの方は、
何かあった時の集合場所を決めてみたり、
再確認するのもいいかもしれません。
今生きていること、
好きなものを買ったり食べたりできる
ことが本当に幸せだし、
そういう暮らしができることにも
感謝しています。
3月11日の東日本大震災があったからか、
さらに遡ること76年前の1945年3月10日は
たった一夜にして10万人以上もの方が亡くなった東京大空襲があった日、
ということを忘れがちになってしまいます。
忘れてはいけない日本の記憶、
こう言う形ででも伝え続けられたらなと思います。
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